こんにちは、Vivaldi 日本チームのたびちんです。
ここ最近、Vivaldi 社内で「Dugnad(ドゥグナド)」という言葉をよく聞きます。英語でもないし、私たち日本人には全く聞きなじみのない言葉。一体どんな意味なのでしょうか。
ドゥグナドについて調べてみると、それはノルウェーに根づいている共同作業の文化のことだそうです。近所の人たちで集まって、共有スペースをきれいにする。地域のイベントを手伝う。スポーツクラブや学校の活動を、できる人たちで支える。そんなふうに、一人では少し大きすぎる作業を、みんなで少しずつ力を持ち寄って進めるという考え方です。
語源をたどると、古ノルド語の「助け」「支援」に近い言葉に由来するとされています。ノルウェーでは古くから、屋根を直す、干し草を集める、重いものを運ぶ、家を建てるといった場面で、こうした共同作業が行われてきました。今でも住宅組合の春の清掃や地域団体のイベント準備など、生活の中に残っているそうです。
日本で近い感覚を探すなら、「結い」という言葉があります。田植えや稲刈りの時期に、家同士で労力を貸し合う昔からの慣行です。もう少し身近に言えば、地域の祭りの準備や町内会の清掃、雪かきの手伝いのように、「これは一人で抱えるより、できる人が少しずつ手伝った方が早いよね」と思える場面に近いかもしれません。
ノルウェーや日本以外にも、似たような言葉があります。フィンランドには talkoot、フィリピンには bayanihan、インドネシアには gotong royong、アンデス地域には minka / minga と呼ばれる共同作業や相互扶助の考え方があります。呼び名も背景も違いますが、「身近な困りごとを、近くの人たちで少しずつ引き受ける」という発想は、多くの地域に見られるようです。ドゥグナドという言葉の響きはとてもノルウェーらしいです。ただ、その奥にある考え方は、かなり普遍的なのですね。
Digital Dugnad で起きていること
さて、Vivaldi の取り組みに話を戻します。私たちはノルウェーで、Digital Dugnadというキャンペーンを実施しています。全国から 150 人のボランティアが参加し、Big Tech に頼りきらない選択肢について考える一日をつくったそうです。
https://vivaldi.com/blog/how-can-a-dugnad-save-the-web
Digital Dugnad の目的は、普段使うサービスを別の何かに切り替えさせることではありません。そもそもブラウザや検索エンジンにも複数の選択肢があり、選び方にはプライバシーや環境、企業姿勢の違いが出る。そこに気づいてもらうことです。
デジタル生活を見直すのに、専門知識が必ず必要なわけではありません。いつも使っている道具が、どんな考え方で作られているのかを少しだけ知ってみる。そのくらいの小ささから始められます。
この活動はアイスランドにも広がりました。Vivaldi は以前から、アイスランドのサッカークラブ Grótta をスポンサーとして支援しています。新しいアウェイキットには、Digital Dugnad のキャンペーンがあしらわれる予定です。そこに添えられたアイスランド語の言葉は、「たくさんの手があれば、仕事は軽くなる」という意味です。
大きな話に聞こえるかもしれません。でも、キャンペーンで扱われているテーマは、ブラウザ、検索、メール、クラウドといった、日々の道具の話です。特別な政治運動というより、いつも使っているサービスを一度眺め直すような内容です。
ウェブは、誰のものだったのか
Vivaldi は、ウェブを人類の大きな発明のひとつだと考えています。誰にでも開かれていて、調べたり、書いたり、つながったりできる場所。もともとのウェブには、そんなオープンさ・広さがありました。
でも、いまのインターネットを使っていると、その感覚を持ちにくくなっている人も多いのではないでしょうか。検索、ブラウザ、メール、クラウド、SNS。気づけば、日々のデジタル生活のかなりの部分を、一部の巨大なプラットフォームに預けています。
便利なのは間違いありません。ですが、その便利さの裏側で、私たちのデータや注意がどのように扱われているのかは、見えにくくなっている面もあります。選択肢があるように見えて、実際にはいつものサービスに戻っているだけ、ということもあります。
その状態を考えるための言葉として、Vivaldi はドゥグナドに注目しています。ウェブを誰かに任せきりにするのではなく、自分たちはどう関わっているのかを見直すための視点です。
選択肢を知っている、という余白
ここで言いたいのは、誰かを説得しましょうという話ではありません。ブラウザを変えるべきだ、検索エンジンを変えるべきだ、という話でもありません。
ただ、普段使っている道具がどういう思想で作られているのか、ほかにどんな選択肢があるのかを知っているだけで、ウェブの見え方は少し変わります。選ぶかどうかは、その人のタイミングでいい。
ドゥグナドを借りて言うなら、強い参加ではなく、関心を持ち続けることに近いのかもしれません。自分の使っている道具を、ときどき見直してみる。そのくらいの距離感でも、ウェブとの付き合い方は少し変わります。
毎日のウェブ体験を、巨大なサービスに丸ごと預けきらない。自分が使っている道具を、ときどき見直してみる。
そのくらいの静かな関心から、ウェブとの付き合い方は変えられるのかもしれません。